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日本学術会議がらみの記事をアップしたので,以前に日本学術会議に提出した要望書のことを思い出しました。新記事アップの前から,その時の記事のアクセス数がアップしていたので気が付いた次第です。やはり今回の任命拒否事件は皆さんの関心を惹いたようです。

さて,その時の要望書とは何か。趣旨を改めて説明したいのですが,時間がないので下記の記事をご覧ください。
  日本学術会議へ長崎大学の実態を報告ー歴史的な『提言』を蔑ろにする学長たちー

ところでこれに関して日本学術会議からの回答が寄せられています。しかし,あまりにも時間が空いたこととある意味で学術会議側の回答が直截的ではなかったため,回答を公表することを(先延ばししているうちに)忘れてしまいました。今回の事件を機会に,改めて当時の回答を公表したいと思います。若干ですが,日本学術会議というものの実態というか雰囲気というかスタンスというか,そのようなものを垣間見ることができそうです。細かい論評は省きますが,当時,私は学術会議が回答に非常に苦心したのだと感じました。
(余談ですが,この時の会長は山極壽一氏で京都大学の総長でした。ゴリラ研究の大家で,前例に囚われない名物学長になられるものと非常に期待していたのです。回答にはその名物ぶり,ある種の大胆さが現れるのではないかと。ところが,つい先日京大総長を任期満了で退任されたのですが,退任時の総長としての評判はあまり芳しいものではありませんでした。やはり大きな期待を持つ人が多かったのだろうと思います。)

重要追記:2020年10月7日午前9時
ついさっきですが(2020年10月7日午前9時ごろ)重要な記事を発見しました。山極前会長の名誉に関わることなので敢えて追記しておきます。勝手な論評を掲げ,大変申し訳ありませんでした。
   学術会議の名簿、事前提示せず 前回は官邸との折衝あり
リンクが切れた時のために概要を記しておきます。有料記事なので有料部分は見ていないことをお断りしておきます。山極会長は『筋を通し,学術会議の独立性を示した』と書かれています。
大西氏が会長だった当時に欠員が出た際の16年夏の補充人事で、3ポストにそれぞれ2人ずつ示したところ一部について官邸に難色を示され、欠員になった。大西氏は「苦い経験だった」としており、その後の官邸との事前折衝につながったとみられる。 一方、複数の会議元幹部によると、17年10月~今年9月に会長を務めた山極氏は半数交代の際に、官邸への事前説明やポストの数を超える名簿の提示をしなかった。会議は7月9日の総会で105人の推薦候補を決定し、8月末に安倍首相に提出。菅義偉首相は9月末、そのうち6人を任命しないことを決めた。 ポストの数を超える名簿を示さなかったことについて、山極氏はメールで取材に応じ、「それが常識だから」と回答。引き継ぎについても「詳しいことは聞いていない」とした。当時の会議幹部は「山極氏は政府からの求めに対し、いろんな形で交渉していた。筋を通し、学術会議の独立性を示した」と語った。

2019年7月25日
日本学術会議からの回答書
日本学術会議からの回答書_a0339940_14160930.jpg

2019年2月12日
日本学術会議に送った報告書(1/2)
日本学術会議からの回答書_a0339940_22433640.jpg

(2/2)
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# by nakamatachi3 | 2020-10-05 14:00 | Comments(0)