『感染症研究が世界に後れを取る』という焦りの意味
2015年 05月 28日
片峰学長の主張 New 2015-05-28 |
片峰学長はあちこちに書かれた文章や住民説明会などで,BSL4施設がないと『感染症研究が世界に遅れをとる』という言質を残されています。そして,『国家の危機管理の観点から由々しき問題である』と焦っておられます。本記事ではその焦りの由来と意味を探ります。 まず片峰学長が残された言質を書きだしておきましょう。 A. 学長メッセージー長崎大学と感染症-(2010年05月21日)より 先進国のほぼ全ての国や南アフリカ,インド,台湾にBSL-4施設があり,中国でも建設が進んでいます。このままでは,日本の感染症研究は世界に遅れをとり,BSL-4の感染症が侵入した場合の国家の危機管理の観点からも由々しき問題です。 B. 医薬ジャーナル社ー高度安全実験(BSL4)施設-(化学療法の領域2014年4月号片峰学長巻頭言)より 先進国のほぼすべての国や,南アフリカ,インド,中国,台湾でBSL4施設が稼働している。BSL4病原体が侵入した場合の国家の危機管理の観点のみならず,このままではわが国の感染症研究は世界に遅れをとり,由々しき問題である。 このような文章で片峰学長が訴えておられるのは,多くの国にBSL4施設があるのに我が国にはないことの不利益です。その不利益とは, ①『日本の感染症研究が遅れをとり由々しき問題』 ②『国家の危機管理の観点から由々しき問題』 の2つを挙げておられます。片峰学長はこれら二つの由々しき問題をほぼ同程度に憂えておられるようです。だからこそ語順が一定しないのでしょう。 そこでます①の焦りについて考えてみます。 |
①の焦りの意味 New 2015-05-28 |
冷静に考えてみましょう。私たち日本国民,そして長崎市民にとっては,どの国がエボラを克服しようと全く関係ありません。エボラを克服するワクチンが外国で開発されたとしても,喜び以外にはあり得ません。先を越された日本人研究者に対しては,同じ日本人として『残念でしたね!』と言ってあげる気持はもちろんありますが,それだけのことです。 そもそも,BSL4施設がほとんどの先進国に設置されている⇒だから日本にも必要だ という理屈が,大学という知性の府にしてはなんとも短絡的と言わざるを得ません。多くの国にBSL4施設があることは,本来ならば感染症克服のためには喜ぶべきことです。なぜなら,それだけ多くの研究場所が存在し,多くの研究がなされることになるからです。 それに加えて日本が貢献できるとなると素晴らしいことですが,それを長崎の坂本地区を舞台にして行ってよいということにはなりません。まして長崎大学がそのように先走って決定してよいはずはありません。 何度も申し上げるように,国が法整備を済ませ,長期的観点で最適戦略を整えてからあとの話であるべきです。 ところで,片峰学長はBSL4施設がほとんどの先進国に設置されている⇒だから日本にも必要だ というような国家的戦略の観点から,突如として(2010年)BSL4施設の坂本地区設置を考え付かれたのでしょうか?もちろんそれは部分的にあったでしょう。 片峰学長がこのような国家的な観点でBSL4施設導入を図るのは極めて不遜です。なぜなら,それを行うためには長崎市民を道連れにすることが必然だからです。 片峰学長の国への貢献度が非常に高くなることは明らかですが,それは長崎市民の危険受容と引き換えのことです。危険受容と引き換えは認めるわけにはいきません。 この,BSL4施設を国家間の競争と見ることの問題点は次の記事に予定しています。ここではもう一つの動機について考えます。 |
動機の一つを推測する New 2015-05-28 |
①の焦りの意味,言い換えるとBSL4施設設置計画のもう一つの動機としては,研究者間,研究組織間の業績競争が推測できます。さらに言えば昨今の研究組織や研究者の生き残り競争の可能性(ぜひ【注】をご覧ください)があります。あのSTAP細胞を巡る騒動も,その背景には,理研という組織の生き残り(トップレベルの評価を維持すること)を賭けた無理があったと言われています。 このことは研究者,研究機関としての大学のエゴにほかなりません。そのようなものに付き合わされるのは長崎市民としての私たちには非常に迷惑です。 私たちは に簡単に書いたように, 『兇悪ウイルスと人類との戦いは研究者個人の戦いの段階を超えている。人類への貢献という広い観点を持ってほしい。そういう人間でないと逆に研究者として危険』 と考えています。国際的協力体制の考えを全世界に広めてこそ世界から尊敬を克ちえるのだと思います。 長崎市民にとっては,長崎大学が素晴らしい業績を挙げたら,それは大変に誇りに感じられることでしょう。しかし,それは市民の安全と引き換えてまで望むことではありません。どうか,市民に危険を受容させる必要のないことによって,名声を克ちえていただきたいのです。 【注】国家的観点のみから焦っておられるのであれば,最も作りやすい場所を提案するはずですが,片峰学長は坂本設置にとことんこだわっておられます。これは大学の都合,つまりは組織の生き残りが強い動機となっていることの傍証と考えます。(まさか,ほとんど爆心地に作るのが最も作りやすいとお考えになったわけではないでしょう。) 『国家の危機管理上の観点』からの焦りの意味に続く |
=======記事はここまで=======
# by nakamatachi3 | 2015-05-28 10:52 | Comments(2)